1889年(明治22)2月11日に制定・公布され、翌910年11月29日に施行された日本の憲法典。
通称、明治憲法あるいは旧憲法ともよばれ、1947年(昭和22)5月2日まで在続した。
徳川封建体制を解体した明治政府が、政府に不満をもつ士族たちの自由民権運動に突き上げられて、憲法制定に熱意を示し、一八七六年(明治九)九月、元老院に草案起草を命じた。
同年10月「日本国憲按」第一次草稿を、1878年(明治11)第二次草案を作成するが、ベルギー憲法などの影響を強く受けた民主的な色が濃いため、岩倉具視らの強い反対を受け再修正し、80年(明治13)「日本国憲按」(第三次確定案)として奏上されたが採用されなかった。
このころ、私人のつくる憲法草案・私擬憲法が盛んになり、政府を大いに刺激した。
こうした経緯ののち、伊藤博文が渡欧し、プロイセンの立憲君主制を日本に適合する政治組織をみいだし、帰国後、彼を中心に井上毅、金子堅太郎らが加わって1880年に最初の試案を、88年(明治21)に確定草案を完成し、絶対主義的政府の体質にあった案が作成されました。
成案は枢密院の諮詞を経て欽定されました。